最近の学び~第二次性徴第三次性徴、その後について(雑感)
最近、人のいうことを頑なにきかないご老人にあった。
びっくりした。人の言うことに耳を貸さないぐらいではない。
人が言うことを遮ってまで聞きたくないのだ。
きっと彼女は、人に言うことが聞き入られずに、育ってきたのであろう。小さな頃からだ。
いらんことをした、と思った。
人には幼少期の第一次性徴というものがある。頭の発達だったか?身体は第二次だ。
保健の教科書に書いてあった。
私の反抗期はちょっとないくらい凄まじかった(余談)
身体が大人になったのでかんりょー(完了)という風に思っていた
今日気づいた
「あれ?第2次っちゅーことは3次があるんよね?」
それは過去の戦争についても言えないこともないかも知れない(余談2→2がある?)
そうなのである
脳みそ→図体→・・・の次なのである。
中年期のおっさんの幼児がえりが甚だしい。
結婚が全ての正解だと言はない。
お金任せの異様な収集癖とか、無用物をためたがる癖。鉄で出来た乗り物への執着、近親者でない方のお姉ちゃんにいたずらし、愛想つかれて泣く。
ちゃんちゃらおかしいのである。
学級会が大人の社会にもあったら委員長の少女に告げ口されるのである
泣きなさい。私が許す。
全て幼少期に満たされなかった願望と欲望の隙間を埋めるためなのである。
私も男だったからそのくらいわかる
私の知り合いに、地方で暴走していてTOPになってするだけして代を継いだものがある。立派なものだ。成功者の部類であろう。
今は彼は、家庭を持たず湖で外来魚を釣っている。夢中だ。
文字通りほがらかに夢中なのだ。ほがらかなので許す。
私は考える。
彼は依然何を満たすことができないまま、第二次性徴を終えたのか?
わからなかった
本人ではないからだ。
気持ちはわかるが同情はしない。
え~っと何が言いたいかというと
第六次成長ができないおばあちゃんと、その少年のままの元族長は一緒である。
ハスに構えすぎだ。
我慢し過ぎなのである
自分の手に余るストレスを抱えて要求が叶わないまま大人になった。
第3次性徴ができていないのである。
今わかっている第3次性徴というのは『心』の性徴なのであろうと思う。
我慢ではなく、辛抱を覚えて、ほんとうの意味の責任感を持つ。
自分がなすべきことが判るのが、第3次性徴?
家族が大事だから家族泣かせないために、」自分の体を大事にするんだから、身体ぶっ壊しそうなしごと、手に余る無理な仕事は、最初からことわるんだかんね~っ」である。最初から断れなかったら、最後までするのが“責任”だと思うがどうでしょう?
未然、第3次もまだなんだから、第4次もまだなのだ。
第4次があるっちゅーことは私ら、まだまだ変われるのだ!変わっていいのだ!
それは凄い、ちょー凄いことだ!
当然第5次もある。
今の予想では、第4次が40代。第5次が順当に行って50代。
私の知っている60台の女性たちはみんなハツラツである。
場合によっては躁状態を疑うくらいに(^^ゞ元気なのである。
多分彼女たちは、下手すっと第4次性徴只中なのかもしれない(苦笑)
働き手の老年化が進むはずである。だって気は40代っばりっばりっ
なのだから…
更年期障害が過ぎて、落ち着けたようなら第5次であろう。
余談だが(③!)私は猫を死ぬほど飼っていた家庭に育った
地獄絵図だった。
近親交配が進み、同じ顔の猫が4~5匹いた。子猫を食う母もいた。自分の食扶持が減るからだ。
「だって生きたいんだもん!」と幼いままのその母猫の顔には書いてあった。
ロリータシズムというものがあるが、ただのファッションではないと思う。
パンクファッションが、がんじがらめの囚われの身を訴えた声の表れであるなら、幼い格好が好きな人は、幼いままなのである。「心」が。
そういう子たちは、表にメッセージが出ているもんだから、きっと性徴できる。「気づき」があったら、格好を戻すだけで済むからだ。
子まで食う母は困る。
その死んでほしいほど飼われた猫の中に19までいた猫がいた。
〈くろいおばはん〉と呼んでいた。
彼女はおっとりとしていて、我が子らの教育をしていた。喧嘩の仲裁もしていたし、餌の分前も見守っていたし、子を食う母には困った顔で、しかし辛抱強く見つめることをやめなかった。
化け猫みたいでした(笑)・・・余談③終わり
さて、穏やかに見守るだけの、存在がかつての家庭には居たと思う。
じっ様、ばッ様である。
ルンバやら、しゃべるポットやら、エアコンのお知らせ機能が、その能力を持つ日が来るのか?辛抱の、である。教育の、をである。
できたら凄いですね。
老いさらばえて無用の長物になったお年寄りを捨てる山に行ったら、ひどい目に会いましたわ。
反省したのでおばあちゃん達をみんな持ってかえりました。幸せでした。という物語があったと思う。
死を迎えてもいいかなというくらいの老婆がいた。
「第六次性徴があってもいいょね~?」といった。
長い私の考えの中でであった。
その長い考えの中の彼女は、輝いていた。
解脱に近いだろうと思う。
まだまだ成長する気なのである。
笑ってしまった。笑うしかなかった。
素直に人の言うよいこと、耳に痛いことを聴けたら、まだ成長できるだろう。
「人は一生かかって成長していいんですょ?」とある御仁が言っていた。
聴くなりわかった。
貴方にはわかりますか?
冒頭の残念なお年寄りは頑張りすぎた。我慢し過ぎてストレスを貯めて,心の耳が遠くなった。アンテナが摩耗した。錆びた。折れる寸前だった。頑張ってください!第4次性徴までもうちょっとですょ?と励ましたい。
涅槃は来世に(あるかないかわからないことm(__)m)持ち越しでしょうが、少なくとも、子は食わなかったからよかったじゃぁないですか゚+.(◕ฺ ω◕ฺ )゚+.
それは凄い!超凄いことだ☆彡
そういうのも踏まえて大2次までで止めずに、教科書に書いていて欲しかったものである。中学教育の想像の泉《保健》よ、頑張れ!大いに頑張れ、教育。
あ、えっとでもしかし~かつては中等教育の場の後があったと思います。
職場なり近所の年長者から、自然な日常の教訓があふれていたと思う。
そうすっと中等の場で、実はこの後第六段階まであるんですょとわざわざ言わなくってもよかったのかも知らない。
皆さんめんどくさくって言わなくなったのかなぁと思うのでやっぱり、一言教育欲しいっすよね?
追記と参考:えーっと長文失礼。
以上の考察はポーラスタープログラムというところの
音声、「大いなる勘違い~1」にあると思われます
お気になった方は、google先生にきいてみてみてくださいまし(^^)/~~~
writs by aoyamachusi
2013.09.14
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