言語の螺旋

言語の螺旋
陰陽五行でいうところの水の流れがいいところ

2010年1月29日金曜日

今日のおほん


J.D.サリンジャーがなくなった

大いなる遺産を残した

長年の隠遁生活から

それでも寿命で安楽死だったと思う

安らかに・・・

2010年1月28日木曜日

短歌「えねるぎい」


つばさ
 つばさを落としてしまった
 あおい鳥が
 ゆっくりと息をひきとる

表情につまらないとかいてあったんだ
 ゆっくりとご飯を食べているときに

標準時刻
 艶やかな秒針は
 残酷に
 進むことをとめない

数々の協力者から
 いろんな言葉をかけられたけれども
 ききいれないのは自分

気球に乗りたい
 冗談みたいにとおい
 波頭を見てみたい

夢みたいだ
 ファンタジーに浸る
 今日
 ここで
 今も

星が流れ
 大気圏で燃え尽きる
 硫化性水素の化学反応とともに

商店街を歩いて
 声をかけられた
 ナイロン袋から
 ネギと大根を出したまま
 ちょっとだけ熱燗を飲みに店にはいった

クロの革ジャン
 着て歩けば
 必ず雨が降るんだ
 ほんとだよ

ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぽい

言葉
 が途切れた
 切ない白い息がぽっかりと浮かんだままだった 

うつ伏せになって考えをまとめる


眠られない夜に

世界人類愛なんてことヨモヤマ

妙な動機の昂ぶりから

月の光が青白くあまりにも尖って地上にふりそそぐので

アインシュタインわ英知の象徴として君臨する

多重債務わ人生計画を狂わせ

現代音楽の不協和音わ鼓膜に感動を呼びさまし

意地になってばかりいると兵糧攻めにあうので

芋のつるや米粉の漆喰を煮て食べれば城わ守られる

冬場の運動わ何もできないけれども

叡智

ハムラビ法典にも書いてあった

ノアの箱舟の行き先を案ずる一つがいの流行おくれの曲などを奏でていたら

サバンナでの生き様を懐かしく思い出したり

要するに

いくつになっても甘えんぼ

確かな足跡が今

日本海溝に刻まれた

2010年1月26日火曜日

無限の原部


恥じらいわ小さな頃から持っていなかった

自分が宇宙の中心だと信じていた

表紙がめくれた本に愛着を持ち

その何度も読み返したフレーズわボクの心を安定させ

その世界の中でもやはり中心にいた

2千円札の流通わどこで滞っているのか

いまさら誰もが既知のことだが無駄な政策だった

札束なんて所詮印刷物だ

共産主義にでもなればいい

マンセー

2010年1月25日月曜日

ラクロス


迷いが迷いであるということは

誰もがみな知っている

しかしその悩みのレベルは

札幌ドーム3杯分もつヒトもいれば

プチゼリーの空き容器一個分のヒトもいる

ボノボ

知的レベルが最も霊長類ヒト科以外のサルの中でもっとも高い

でも彼らに

札幌ドームをホームにするプロ野球団を応援する気はない

きっとチケットをあげても観にいかないだろう

なぜなら

興味がないから

男子ラクロスは

女性のやるたおやかなスポーツではとてもなく

3mの棒を持ってヘルメットをかぶりプロテクターをつけて行う

別物なのだ

まったく

本気で試合をしたら3日はかかるらしい

観にいく?

ボノボ?


でもですね、
ぶっちゃけた表現すれば、
金儲けのためなら日本を見捨てるよ&外国人を低賃金 で奴隷労働させるよ&下々の日本人は路頭に迷って野垂れ死んでも仕方ないよーってことでしょ。
ホンネの部分はともかくとして、
日本ならびに地域を代表する 大企業トップが堂々と言ってのけ(まるで民主党や、
民主党に票入れた国民への恫喝ですな、笑)
、それに対する批判が全くない(それどころかマスゴミが中心 となって勇気ある発言だと礼賛する向きもあるようで、笑)のには違和感が先に立つんですな。
100年前ですら、
少なくとも下品な発言として批判されたんで はないかと・・・。
もっとも、
外国人の奴隷労働については前大戦中のそれについて事実を認めることすらしないのが、
かの大企業だったりしますから。
企業風 土としては、
先祖返りどころか、
この1世紀全く進化していないってことでしょうね。

2010年1月23日土曜日

短歌 詩


異常事態宣言
 瞳に映るそのものわ
 恋人

ミディアムレア
 今日は
 いつもより肉を食いたい

午後3時
 もう傾くか
 手をつなぐ2人に

雪景色
 が嫌いと
 いった口元に
 まっしろなアイスクリーム
 2人

次どこへ
 行こうかととうキミわ
 もう決めてしまっている予感
 空のすずめ

病気なんだ
 許せるヒトと
 許せないヒトを
 街中でみる
 雑踏

ファンシーグッツ
 陶器製のウサギわ
 きっとペンケース
 生まれた頃わ
 ただのウサギか

車の
 ダッシュボードに
 置かれたキミの携帯電話
 いまわ
 誰からも鳴らない

清く正しい恋?
 夕方を越えたら
 ちょっと眩しいくらいのネオンの中へ

気持ちを伝えよう
 だとしたら
 手の中の荷物が
 いっぱいすぎて
 こぼれ落ちてしまうよ

距離がつまった今

アフリカに行こうよ
 そう
 どこへ行っても
 幸せへの
 記憶

サヨウナラわ
 いわない
 またあしたもいわない
 アリガトウといってみる
 たしか

2010年1月22日金曜日

はみだした路肩の構造物


市町村の吸収合併が落ち着きつつありますね

皆さんいかがお過ごしでしょうか

ボクわいろんなところでけっつまずきながら

それでも生きつづけています

紅茶

飲んで

発泡酒

飲んで

寒い季節を面倒な身支度に嫌気がさしながら

昆布のダシのとり方に考えを及ばせます

父が白内障にかかったことや

母親の股関節が人工物に入れ替えられた

こと

など

マヤミキが緑色の石鹸をすすめていることも含め

いくテイクって難しいでスネ



岬の沖合いでゴンゾウ

鯨が

跳ね上がって

この世の謳歌を歌いはじめました

どうやら

鯨の

世界でわ

地球わ見所のある大原三千院よりも楽しいところらしいです

森の梢の中のリス君たちは

身を

丸くして

眠りについていることでしょう

部屋のカーテンのサイズが

中途半端に大きくて

柄も大嫌いです

母親の美的感覚とやらわウツリ気でお仕着せがましいのです

どうしようもないな

短歌 詩


笹井宏之
ゆきげしき みたい にんげんよにんくらいころしてしまいそうな ゆきげしき

2010年1月18日月曜日

恥じらいながらつてをつかう


かつて昭和という時代があった

こぼれんばかりの希望と溢れ出してしまった無知から構成された時代だった

ミネソタでミーアキャットと目が合い愛情がわいてきたのでつれて帰った

すこぶる調子わいいんだけれども

いづれにせよ戦場でわヒトわ死に

また生かされ

そこから生命が誕生し

墓が掘られ

夏が来て

春を懐かしく思い

いずれにせよ

勇気が痴情のもつれで適度に災いをもたらし

雨乞いの祭りが始まり

神わ

今年の春わどこ行こうか

今年の夏わどこ行こうか

非常事態宣言なので

核シェルターに行こう

決めた

決めました

スキだから

君が

心の萎れたヒトがいる


ぼくの声わ届かない

仕事やら日常生活の連鎖でズタボロになってしまった精神

磨耗してしまって様々なことに臆病になってしまっている

励まそうとするのもおこがましいでスガ

それは現代人のいくらかわ必ずかかるといわれる病

避けようのない疾病です

理解者わ周りにわおらず

自己解放しようにも滞ってしまっていて

声が届かなくなってしまっている

専門家に診てもらうつまりわカウンセリングで少しわ凍てついてしまった心をましな方向に導くところまでわできると思われるが

そこには未来への生易さわ保証されてわいない

2010年1月17日日曜日

ハゲ散らかす


夕べのこと

職場に小学生時代の同級生が来た

父親は中学の体育教師だった

ハゲだった

遺伝子わ根強く

彼わ30歳前半でギャルげーがスキで心の開きかたを知らない男だった

ハゲていた

2010年1月15日金曜日

遠い太鼓

遠い太鼓

でもこのアナルロギスに対しては

ボクはわりに素直に接することができた

アナルギロスは40歳前後の

小柄な男である

いつもなにかについて夢想しているような顔をしていて

話をするときには頼りなさそうな微笑を浮かべる

ギリシャ人にしては珍しく声が小さくゆっくりと丁寧なしゃべり方をする

働きもので

朝の8時から午後2時頃まで店を開け

夕方にもまた3時間くらい店を開ける

いつも一人で働いている

たぶん一人ものなのだろう

店の中は例によって暗いので

暇なときはアナルギロスは店の向かい側の石垣に腰を下ろして

パトラリス②や近所の奥さんと世間話をしている

そして客が来ると例の微笑を浮かべ

道路を横切って店に戻る

店の中にはときどき猫が眠っている

この猫はアナルロギスをパトロンときめこんでいるらしく

いつもダンボールの上に丸くなってすうすうと寝息を立てている

*

よくある事であるが寄りなれた街

生きることが大事なときに

これこそが求めるべき道なのだと思う

議論すき

ディベート

だれかれなしに仕掛けるわけでなく

こころの琴線に触れた者

ただ万遍のない生き方をしているヒトは

避けたがるのだろうが

状況と悩みが並列されれば

そこにわ解決

のための議論が生ずる

それは絶対零度の雪山に住むオジョコのエサ集めのように

必然なのだ

議論で冬を越すのだ

生ぬるい空気などいらない

そんなものは職場での社交辞令だ

大儀命題があって

仮定があり

終息する

生きている気持ちの機微を大事にする

流して喋ることわ簡単なのだが

そこに意味を見出すために

議論する

知的財産を希求する現代人にわ足りないことなのだ

2010年1月14日木曜日

大きな置忘れ

ボクにわ娘がいる

6歳か5歳だったかわ忘れた

どんな不便がおころうと

諦めずに生きつづけられるように祈って名づけた

隠れた意味でかみの祝福の意味も込めてある

もう2年ほどあっていない

スケジュールがあわないからだ

それだけでわない

一日好きに遊んで好きなものを与えられるような資金も必要だ

この寒い静かな夜に彼女は眠っていることだろう

そしてボクわ眠れずにいる夜を過ごす

自分が中心に世界が回っているように思っていると過去

にいわれたことがある

確かにボクわ偏屈でヒトよりかなり不器用で

語る言葉わ頭の中で組み立ててからしか口に出ないし

なにより独善的でヒトにさとすが好きなのだけれども

彼女は少なくともヒトに対してわ柔軟に愛されてたくましく生きつづけていって欲しいと思う

たとえば

冬の星空

掛け布団をきっちりとかけて

眠っているか

明日わ

彼女の様々な友達と遊んで何かしらの発見があるか

そこが重要だ

物書きなんてしていると当然やくざな生き方を続けているのだが

できれば彼女には理系の学習をして欲しい

文系では観念的な叙情的な情報処理しかできないが

理学に没頭して数式に囲まれた生き方をしても

ダンスもできるし

調理師にもなれる

また世の中の矛盾に翻弄されても

客観的に自己を分析できるし

これからの人間関係に苦労しても

生きていく術ということでわ理解するための

理学が身につくからだ

彼女にわ当然苦労の少ない生き方をして欲しいと思う

理系でも本は読めるし

人には優しくでくるし

愛されることも可能だ

なにより

観念的な情報処理しかできない文系よりわ

当然生きやすくなるだろうと思う

そう願っている

また近いうちあいにいきたい

のだ

2010年1月13日水曜日

みつかりましたか


電話の向こうの担当者

でたらめな手続き

屏風のようなめかくしが必要なのか

それとも階段のようなアンチバリアフリーがまかり通っているのか

指さし確認はかかしちゃいけない

なんて

古臭い因習がまかり通っているのか

はじめましては

所謂

ことのはの病気のようなもので

とっちらかった部屋の中でひなびていくジャガイモのように

赤く熟れてソラニン

がふつふつと沸いて

異常児の産声のように

にごった汁を染み出して灰色の雲に

なる

甘い言葉に足をすくわれて

何度目かの痛手を受け

鈍磨した神経の琴線

に触れるところはなく

気分が滅入ってきたところに延髄蹴りを浴びせられ

氷河の上のニュースレターが届きました

2010年1月10日日曜日

2010年1月6日水曜日

魔法物語


とどこおり

がちだけれども

果てしのない言語を捜索している

うまくゆかない

のも躊躇

だとか

生き死にからくる恩恵

だとか

連結部分の錆だとか

ランボルギーニカウンタックの小窓の長い髪のカゲだとか

キテレツ大○科の造詣物コロ○ケの髷だとか

手をだしたらしっぺ返しがくる黒い魔法の詠みかただとか

身につけていたものもきちんと

たたんで箪笥へ収めなさい

おかぁさん

と小津安二郎気取りで

涅槃へ

2010年1月5日火曜日

慕情


失くしたものを拾いにいくと

ヒトは端から端々まで

瑞瑞しさは今宵も同じ熱量計算

枕布団が斜めに駆ける