「聖域」
登場人物
KP=Kitchen Police(戦場での調理師、少年)
FA=Fire After(燃えカス、父)
NT=Number-ten(最悪な状況←スラング、母)
シングル=Single(孤立、姉)
サー=Sir(上官、先生)
MR=Milk Run(補給兵←スラング、町の酒屋さん)
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幕が開く
その空間は淡い日の光が幾筋かさしているだけで薄暗い
一面が壁に囲まれた室内 どこかへの入口であるらしいが
無味なまでに質素で ドア自体が虚無な空間の現実という汚点にみえる
そばには一台の電話。
黙している
その静寂に耳をたてると次第に幼げな少年と思しき声が甲高くきこえてくる
雑然としはじめる空間にKP登場
あたりの声はさらに高揚する その内容はひどく下卑た言葉。罵り笑う声。くだらない中傷
その声はKPに向けられている
KPは黙ってその声をうける
サー部屋に入ってくる
サー;はい静かに静かに
声がやむ
サー;おくれてごめんなさい。ちょっとパチンコにいってて(せきばらい)
会議がながびいたのです
えーでは出席をとります
オカダ君
A;ハイ
サー;カヤマさん
B;ハイ
サー;コミヤマくん
KP;(ぼそりと)ハイ
一同;(KPの声を打ち消して)コミヤマくんは、やすみです
サー;やすみ?なんだいるじゃないの。おかしな子たちね 先生冗談すきよ。ホホホホ
サー;えーではサイトウくん
C;ハイ
サーの点呼はつづく。
にぎやかな教室とはうらはらにKPは孤独だ
サーはそのうしろを行き来する
KP;毎日毎日こうだった。リンチをうけるわけでもなく 金をせびられるでもない
歪でせこいいやがらせをやつらはいつも、
やつらはいつも繰り返す
ノートのちょっとした落書きをみつけたら、そのことで笑いやがる
忘れ物をしたらそのことをうれしそうに教師にいいやがる
ささいなコトバの間違いにも嘲笑がつきまとう
ぼくのすることならドアをあけるしぐさや椅子をひく音にさえ侮蔑をくれやがる
毎日毎日こうだった ぼくは精神的にまいってしまっていた
サー教室より去る。
KPその場に佇む
KP突然迫りくるなにものかから追われ、逃れるために駆ける
必死に走り息切らせてたちどまる。まいっている
シングル、KPを迎えでる
KP;ただいま
シングル;あらおかえりはやかったのね どうしたの息切らせて
ブルドックにでも追いかけらけられたの?ガウガウ
KP;母さんは?
シングル;ガウガウ
KP;いないの?パチンコ?
シングル;ガウガウ
KP;もういいよ
とりあわないシングルにあきらめて去ろうとするKP
シングル;ちょっと。冗談よ。この程度のジョークも相手に出来ない堅物なのあんた
この世はくだらない冗談で溢れかえっているのよ
あたしがガウガウといったら、あんたは畑正憲になって
おおよしよしよし、あやしにかからなきゃ 生きていけないわよあんた
ちからなくわらい去るKP
NT帰宅
その姿は疲れていて憂鬱そうだ。くたびれている
NT;ただいま
シングル;あらおかえりどうしたの暗い顔して。パチンコで負けちゃったの?
NT;(ためいき)もーそれがね
となりのハヤシさんの奥さんたらじゃんじゃんでるのに
あたしのほうはさっぱり。チョコレートひとつもとれないの
あんまりだわってムキになってやってたらスッカラカン
あの店ぜったい裏であやつってるのよ
ちょっとあたしがハヤシさんの奥さんより年増なおばさんだからって
いじわるしているのよ
そりゃ化粧ののりは悪いし目尻の皺だってめだつし
でもあたしのほうが肌は白いしつやがあるし瑞々しいし
シングル;でいくらまけたの?
NT;三万 シングル;さんまん?
NT;いいじゃないの給料日なんだから
シングル;給料日って、父さんが働いてるのよ
NT;労働に棒給はつきものなの 働いてるのは父さんだけじゃないわ
あたしは当然の権利として希望するだけの給金を手にすることができるのよ
それがまっとうな資本主義社会というものなのよ
シングル;パチンコが労働なの? 母さんはそれ以外の仕事という仕事を放棄してるでしょ
NT;うるさいわね。文句があるならあんたもすこしは家事を手伝いなさい
肩書きだけの名誉職の家事手伝い
あしたのバーゲンついてこなくてもいいのよ
シングル言葉につまる
シングル;今晩のおかずは
NT;冷凍してるでしょビーフカレー
シングル言葉をなくす
シングル;あしたの朝ごはんは
NT;買ってあるでしょクリームパン
シングル;ちょっと母さん!信じられない
NT;しらないしらないあたしはしらないわよ!
NTその場から逃げるように奥へ駆け込む
シングル、NTを追う
だれもいなくなった空間に空間にに電話のベルが鳴りはじめる
NT;ちょっと!でんわ!だれかいないの
あたし手がはなせないのよ。お化粧おとしてるの
でなさいよ!
なおも鳴りつづける電話
KPが黙って歩いてくる。電話にでるためなのか その目線は虚ろだ。ものめずらしげでもある
そばにくるが受話器をとることもなく、鳴るにまかせる
やがてコール音はやむ
呼び出しの余韻に浸るように佇むKP
ふいに去る
一方的な声がみだれてきこえる。助けを求める戦場での無線の声のようだ
FA帰宅
FA;ただいま!いやいや今日もお父さんは無事に帰還しましたよ
メコン川中流域中州の三角地帯と同様に激しくドラマチックな 会社という名の戦場から戦場から
わが身ひとつで生きのびて帰ってきたのですよ
負傷兵でいっぱいの地下鉄に便乗して
ベースキャンプに辿りついたのですよ
FA語りながら戦闘服を脱ぐ。くつろいでいる
FA;お、なんだ?いいにおいだなカレーか? いいぞ、おれはカレーがすきだぞ
エキゾチックな味覚。南国のエキスのスパイス
新潟魚沼産コシヒカリとの華麗なる融合
それ一品のみで食卓の王座につけるだけの風格と
カツ、エビフライ、ミートボール、シュウマイと
なんでも受け入れるだけの万能さ
それぞれにより微妙に味覚を変貌させる繊細さをあわせもった食の大御所
The enperer of feed 今日はいいことばかりだ
あほの部下どももへましなかったし
お茶も濃ゆくてあつくてうまかったし
エレベーターで部長にもあわなかったし
労働の棒給ももらえたし
電車の中で座れたし
FA語りながら奥へ
電話が再びだれかを呼ぶ だれもでない
電話のわきのドアがわずかに開きFAが顔をだす
FA奥に目をやりあわてて顔を引っ込める
せわしなくNTでてくる
NT鳴りつづける電話をみてしばらく考えてから受話器をとる
NT;もしもしハヤシさん?はいコミヤマです
ええちょっといそがしくってごめんなさい。お昼はどうも ええ調子よかったですね
うらやましいわ奥さん
あたしなんてもう、どうしましょう、3万ですもの
そんな、すぐ取り返せるって、新装開店であれですよ
奥さんはいつでもついてらっしゃるからほんと
もういいんですの、だってぜったいにばれっこありませんもの
うちのひとなんて自分のお給料がいくらで
それがどこに消えてるか、なんてちっともわかってないから
ただあたしが、家のローンがとか、婦人会費がとかいってたら
黙って頷いて後はすっかり忘れちゃってるもの
三万くらい減っててもばれっこないのよ
陽気にわらう
NT 突然わきのドアがひらく
呆然とするNT
FAでてくる
FA;おいお前
睨みみつめあうふたり
NT受話器を置く
FA;今日の、昼間は、なにしてた
NT;テレビをみてたわ
FA;みのもんたか? NT;ええ。具合が悪かったのよ、今日は
FA;具合が悪かったにしても
どうして洗面所にきのうおれがはいていたトランクスがあるんだ
汗くさいままで
NT;洗濯するのも億劫だったのよ。まだあるからいいでしょ
FAドアを強く閉める
FA;自分のはちゃんと干してたじゃじゃないか
しかもそれも取り込んでない。どうなっているんだ?
ズロースがベランダでひらひらしてるままはよくないだろう
次第に声が高くなるふたりの対話に シングル、KPがやってくる
ひどく迷惑そうだ
NT;ほらあなた観衆が増えたわ
シングル;なによいったい、うるさい、みっともない、わめかない、はなしあい
FA;はなしあいがかならずしも和平を生むとはかぎらない
NT;となりのハヤシさんにきこえるわ
KP;この争いのきっかけとなった論点は?
顔を見合わせるFAとNT
FA;は?ああ、パンツだったか?
NT;ほらあれよ、あたしがちょっとハヤシさんと電話で話していたら
あなたが急にトイレからでてきて
FA;そうだ。おれが便所にはいっていたらおまえが電話にでて
シングル;また長電話してたの?
NT;ちがうわ、だってほんの数分よ
そうよまったく これくらいの電話でしかられてたらいったいどこに電話をかけられるというの?
酒屋さんにもかけれないわ
シングル;そりゃちょっとこまるわね。軍事無線じゃあるまいし
こちらA班目的地につきましたオーヴァ
KP;了解ただちにB班あとにつづくオーヴァ
FA;ちがう!おれはそんなことじゃ怒らんぞ
だいいち今日はとても機嫌がいいんだ、よかったんだ、それをだな
KP;その麗しき宵に、なにかが父さんの機嫌をそこねた
シングル;もしかして
NT;なに?
KP;べつにかまわないけどさ
シングル;毎日毎日こうも負け続けてたらね
FA;毎日?毎日?なんだと?おれは小遣いへらされたんだぞ
NT;あんたどうせ趣味もないでしょ
FA;おまえは掃除ひとつしなくていいのか、ぐうたら
NT;県民税市民税がいくらかも知らないくせに、このうすのろ
FA;なんだと!
シングル;やめなさい、みっともない、はしたない、みてられない
MR颯爽とふたりのあいだに割ってはいる
MR;そうです家族はもちろん夫婦は仲よくなくっちゃね ええ、夫婦冥利におはしもてれる
豆腐をつつきゃあ奴ものぼせるってなもんですよ
一同呆然とする
MR;ええあたしはしがない通りすがりの町内の酒屋のおやじです
しかしね、あなどっちゃあいけません
このあたしにかかりゃあビールの小瓶一本から
チーズ鱈一箱だの黒生ビール一ダース
シーヴァスリーガル一二年のボトルまで
最高の笑顔でサーヴィスするのみにとどまらず
配達のついでに家庭の不和まで仲裁しちゃう
え、みなさん、それが職に対する商人魂てもんでしょ、え?
ビールの空き瓶を強く握りしめてあたしは誓います
これぞ酒屋の誇りです
シングル;で、なにしにきたんですか酒屋の誇りが
MR;いえ、ね、だから、ちょっと、様子みに、ね
NT;たんなる野次馬じゃない
FA;けしからんな
シングル;ずっとのぞいてたんじゃ
KP;変質者の商人か
MR;ちがいます! あたしはおたくのとなりのハヤシさんにご注文のみりんを届けにいってたんです
NT;みりんを届けたついでにのぞいてたのね
FA;けしからんな
MR;ちがいます!あたしはハヤシさんのところにみりんを届けにいきました
するとハヤシさんの奥さんは電話中だったんで小さな声でいったんです
毎度
NT;そういえば聞こえたわね
MR;で、ハヤシさんはすぐには手があきなさそうでしたから
みりんだけ置いてそのままでていこうと思っていったんです
ありがとうござんした
NT;それもきこえた
MR;あたしは玄関の引き戸に手をかける
するとハヤシさんがあたしを呼びとめる
なにか御用ですかと身振りでこたえた
で、ハヤシさんの奥さんのいうことにゃ
電話が急にきれてしまった。とても不自然だった
なぜだろうとふたりで思案していると、おたくでなにやら叫び声が
こりゃ一大事とハヤシさんにおいとまつげて、馳せ参じたわけです
シングル;ちょっとおおげさよね
FA;けしからんな
NT;よけいなお世話
MR;そんな
NT;もうかえっていいわよ
MR;ええいいですよ、もうどうせ、でもね
健康は失われてからその大切さに気づく
本当に大事なものは失ってからその大切さに気づくものです
どうやらお邪魔なようでしたね
酒屋は去ります。去りますけどね
KP;なんだよ
MR;ぼっちゃんまで
FA;けしからんな
MR;ご注文はございませんか
NT;あっそう、きてくれてよかったわ
砂糖と醤油とビール一ケース
MR;ほら、ね
暗転 時間の経過