ある日の合戦で武勲をたてた侍は後日城の近くの屋敷へ呼ばれた
自分はついていただけでさほども騒がれることなど微塵もないと思っていた
上のもののはからいで知らぬうちに話が大きくなっていることなど知らなかったのだ
頭を伏せて式の間傾聴していた
日の強い午下がりで話が浪々とかたられる間に額の汗が一筋一筋とつたって滴った
褒美は馬だった
下人は表で手綱を持って待っていた
脚の太い田舎馬で毛は濃い茶色でたてがみには油が浮いた黒だった
待っている間も下人の額と背中には汗が噴出して早く夕刻にならないかと乾いた喉を鳴らしていた
その田舎馬も主人の帰りが遅いもんだとたまに頭を振りそこいらに草の生えていない街中で暇をもてあました
さて門が両側から開いた
それぞれの侍が出てきて声を発すると下人がすかさず歩んできて「この度は・・・」と緊張した面持ちで帰りの支度をした
最後は主人だった
下人をすぐには呼ばず厩の前までつれられていき
かみしもを身につけたそれぞれが一本じょうしでなにやら祝っているようだった
主人は頭を上げて下人の元までやってきた
下人はオランダの血が入った男で歳は40毛は栗色だった
侍はかつてその男の老後が丘を越えた村にあるという異人の集落で畑を耕したり鳥を飼ったりすることだときいていた
先に帰っていろとだけいわれその馬は主人の気色がいつもと違うことをいぶかしんだ
飯も先に食っていていい片付けが終わったら寝られる準備もしていろといわれた
下人は了解すると祝いの一杯でもあるのだろうと思い下衆なことはせず帰った
さて困ったのは主人だった
今年で13になる新しい下人が持った手綱を見あげると誇りの高そうな黒い目と日に照らされ金色に光るたてがみと何よりその足の細さの馬だった
少年にも同じことをいい先に帰らせるとまだ鞍をのせたことも数度しかないその繊細な背と慣れないくつわでどうふりかえっていいものかと困っている馬だった
ありがたかった
ここまでの評判に箔がついていたことにもあせっていたが乗りこなしの難しい若馬では帰りの道も危ういと思っていた
下人を先に帰らせたのはその姿を見られたくなかったのもある
しかし乗るなら手綱を引かせて帰るよりも3里でも4里でも早足で駆けてみて今のうちに慣らしておかないと村の噂で下人たちにも可哀想なことになる
山を二つ抜けて池で水を飲ませて帰ろうと思ったのだ
田舎馬は下人に持たせて家のひとつもねぎらいとして建ててやろうと思っていた
丘向こうの異人の集落の話が本当ならそこでいい
用があるとき不便がないほど遠くないしオランダの連れ合いでもできるといい
さてまたがろうにもまず頭を下げないこの馬に街外れの長屋の前であがいており
やっと鞍をすえられたのが夕刻
やはり先に帰らせておいてよかった
しかしとかく腹が減った
こんな大事になるなら干飯でも懐に入れておけばよかったと考えたりした
里の段々畑が見えてきたころには早足をさせ何度か振り落とされたりもしてあつらえてきたはかまも泥がつき足袋も汚れてしまっていた
その馬は何でもいうことをきこうとせずまして腹も減ってきたところからいらつきもしていたのか汗をうかせて一筋縄ではいかなかった
鐙が食い込みきらつく涎が顎をはいなんでこんなにしんどい思いをしなくてはいかないのかといった次第だった
駆け足ができるころには月が頂点にまで来ていた
何とか恰好がつくようになって池のほとりで一息つかせた後には名前を呼ぶと振向くようになっていた
といったことで
顛末は侍がただ上司の兜を落とさず拾い上げ戦地に向かったことからはじまったところだが
新しい馬とのこういう話はだれも知れないことだったので今ここに書いた
侍は夜半に村に戻り一杯やってから打ちつけた腰がみっともなく痛むところで横になった
老いた下人は噂どおり丘の向こうの集落に冬になるころに移り住みよく働く馬と一緒に暮らした
無骨だが力自慢の馬だったから重宝した
新しい下人は3度の飯がもらえるだけでいちいちありがたがりその素直な性格で村のみんなからも好かれた
授かりものの馬は今では8里ほどなら文句も言わずまた息を切らせることもなくよい馬になった
侍はそれからは戦地に向かっても旗をまかされる程度にはなったが大層な武勲はもうゴメンだと若い衆に任せるようになって刀を抜くこともなくなったしヒトの矢が向けられるところまで行くこともなくなった
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