言語の螺旋

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陰陽五行でいうところの水の流れがいいところ

2012年7月22日日曜日

雑感「ウォーターメソッドマンⅠ、Ⅱ読後」


雑感「water method manwatermelon mann読後」

とても長くて妙ちきリンな、小説が好物
なのでスガ、中途入院期間を挟み、他のモノに横恋慕
してをりました。振り返れば3ヶ月が経過。移動中k本的に自転車なので、職場の隅、とか洗濯場のおかあさん(愛称)のところでお茶どうぞ、に甘えて1時間、小さな古本屋の2階の隠れ家、なりで読みすすめてをりました。村上春樹訳の「熊を放つ」が大好きで、古本屋で手にはいったら、ヒトにあげて「読んでみてネッ」を繰り返していたり…
ボクは読むのが本当に遅くて、山田風太郎の「戦中派不戦記」デモ2週間かかってしまいます。司馬氏の歴史長編には、孫、子に託すかわからないので、部分読みしています。乱読デス
それなのになぜやたらと長くて読解困難な作風の本を愛好するか。
John Arvingはとても緻密にきっと偏執狂の範疇に入る書き方をしていた頃、本編の筋書きの大まかな部分、とは別の瑣末な出来事も丁寧に書いていて、そこが妙味、なんでスガ例えば、作中にある、院生が古代平地ノルウェイ語を研究していて、翻訳に無意味を感じたので、デタラメに筋を書き換える、その擬古文の引用とか…彼女と子ドモが欲しい、欲しくないの話になって、ドイツに旧友を探すために逃げる、そこで麻薬取引の仲介をすること巻き込まれる。そういうことの積み重なりでぼかされた、主題
ごく控えめにそれでも胸を打つ形で目を引くからなんですネッ
うまいなぁ、と思いつつ偏執狂ぶり(アメリカ文学代表謀略作家トマス・ピンチョンのように!)がもっと溢れ出てくれたらなぁ、しかし、小説と名のつくものは読み手への歩み寄り、が必ずあるのでTim obraienは巧くなってしまったのが悲しい…なんて思っているのは、ボクだけなんでしょうか。明確なメッセージ性は論述子に任せちまぃましょぅや、と。
蟲士書12.07.22
〈参考John Arving「ウォーターメソッドマン」Ⅰ,Ⅱ川本三郎共訳:国書館院刊〉

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