言語の螺旋

言語の螺旋
陰陽五行でいうところの水の流れがいいところ

2012年3月20日火曜日

雑感「先生の先生は偉いのかまたは進化途上の変異は悪か」


 の手の動きを戸惑いと好奇心のいりまじった目でみつめていた。壇上の若い担任の教師がいつものトレシャツではなく襟付きのシャツにネクタイを締めていたからだ。儀礼というものはそういうものなのだろう。・それぞれ生徒たちが姿勢を正して座ることに未だ馴染めずに片尻をたまに浮かせることで緊張を保っていた。しばらく息を詰めた空間の中できこえたのは喉の奥で抑えられた痰をはらう音だけ。雑音は害悪。律せらるるは是。
 社会学なんてまっぴらごめんなんだけれども、機械工学を選んで学んでいたものに、車をつくるなといったり、数学を専攻していたのに売り上げと利潤を算出させたり、農学博士は実は山にいないとか蒲鉾工場の若旦那が介護保障を施策するから清き一票をなんてままあること。音楽大出の事務員は絶対音感をその運指を出納帳にいかせられれば上等。建築士が運転するコンバインの排気ガスは野山の風景と融合しやすいとか、教育者が教育をするというのは実は恵まれたケースのひとつであり、だからといってその教育が教えられた者たちにとって有益であるという約束なんてない。成績はまぁまぁだったけれども、休み時間はこの上ないほど楽しめた、とか理念の本当の意味を教えてくれたけれども、理念が必要かという問いには答えられなかった。年度が替わり担任が変わったとたん、ノートの使い方そのものを否定された。先生は先生のままなのに先生によって生徒が否定されたわけである。
教育者が教育という立場を前提として行動の規範を限定されるのならば、教育者でいなかった頃、つまり先生の先生から教えられていた頃は、なんだろう。ただの物知りな世話を焼くヒトだったのであろうか。そういうヒトがたまたま教育を選んだことによって失ってしまった自己発露は大き。国旗の掲揚、国歌の斉唱、なんて、ちっぽけな象徴的儀式一連の中で、ただひとり理想の高い、しかれどもナイーヴな心を持つモノが、先生から教わった大事なこと、それがめげない意思を持つことだったとしたら不幸だ。一教師が拒む一縷の行為。エゴの顕れ、唄わない、起立しない、なんてことでしか表現できない彼或いは彼女たちは国家規模での風潮、つまり問題意識を持たないこと、考えることを放棄することを好しとする社会の中で、たまらなく孤独だ。
これここしかないと主張した精一杯の微やかな風なんて縦に長く平地も少ない島国、周りは当然海原せめぎ合う暖流と寒流、風土に根ざした美徳の前では、一迅、一沫、須らく凪。事象でしかない。
わかりやすい形で分散せられた個体は歪だ。高い枝にも届くように首を伸ばすとか大きな体に血脈をまわらせるために心臓を二つ持つとか自ら出てまた水に戻って息は60分に1回しかしないという生態系への適応力を持たない異個体として扱われるのだ。わりと身近に散見される物事なのだ。
たとえば、幽霊の正体たりパチンコ屋のネオン管が切れたところ、おみくじが凶で厄年で入院とか、ファミコンのカセットをわくわくして開けたら考えられないくらい空疎、1ヶ月近く他人のタイムカードを押していた、オノマトペでしか喋られない、トイレの神耳にこびりついて仕方ない、恋に恋してる、誤ったテヘペロの引用、ペッサリーを水に流して詰まらせる。誰もが挫折を経験したもの。つまりは、孤独。彼彼女らには嘆きの壁はないのだから。

Wright by 蟲士

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